5/28/2013

ひろみさん



ひろみさんは、ちょうど私より20年ほど人生の先輩で
お会いしたのは2度だけです。
けれど、電話やお手紙での交流、
折に触れお送り下さる自家製のもち米や郷土菓子・・・
また、このブログをいつも楽しみにして下さっていました。

いつでもその笑顔が、すぐに浮かびます。




10日ほど前、ひろみさんが1月に急逝されたことを聞き、
とにかく驚き、今も信じられない気持ちでいます。
その少し前には、母が電話で、その元気なお声を聞いていましたから。





 初めてひろみさんとお会いした時、
それはほんの一瞬のことだったのでしたが
決して忘れられません。

 画家である息子さんの大阪での個展にお伺いし、
話が弾んで、随分と長居をしました。
ギャラリーをお暇する時、
後ろから追いかけて来られて
両手いっぱいの最中を笑顔で差し出されたのがひろみさんでした。
驚いたのは、ギャラリーの中にひろみさんがいらっしゃったことに
こちらが全く気付かなかったこと。
話の邪魔をしないように・・・と、
どこか見えないところに隠れていらっしゃったことがすぐに察せられて、
いただいた裸の最中が、なんとも温かく感じられました。

親心というものの、精一杯さ。それに尽きると思います。

 そして、その後からひろみさんとのご縁が始まりました。




 息子さんから訃報をお聞きした時に、その最中のエピソードの話題になると
「あのころは、あれがとても僕はイヤだったんです・・・
でも、今となっては、その気持ちが分かります。」
と、おっしゃっていました。

 そう、私もあんなひろみさんが、大好きだったのです。

いただくお手紙は、いつもロマンチックで素敵でした。
厳しい方でしたが、いつも良い言葉をかけて下さりました。
二度目に展覧会でお会いした時は、「緻密に生きてはる!」と何度も仰って下さり
「そう生きなければなぁ・・・」との自戒も含め、印象に残っています。

また、大変遊び心のある方でもありました。
ひろみさんの有無を言わせぬ?リクエストが無ければ、
一生七面鳥を調理することも無かったでしょうから!




本当に、思い出しても楽しいことばかりで、
浮かんで来るのはひろみさんの笑顔です。

滋賀の展覧会場に、お赤飯を作って来て下さったこともその味も、
何もかもこの先忘れることは、ありません。
私もそうありたい、と胸を熱くしたひろみさんの親心、
宝物のエピソード、たくさんの人に知っていただけますように。

・・・不思議です。
もう2度とチャレンジしないだろうと思っていた七面鳥、
また挑戦したくなってきました。
ひろみさんは、今もそんな気持ちにさせてくれる、温かくて強い人!


大好きなスゴイ人!!





息子さんである藤田哲也さんは、埼玉県川口市の密蔵院という歴史ある寺院で
現在、曼荼羅を手がけていらっしゃいます。

完成は平成25年ということだそうです。