6/11/2013

「待つ」ということ


 大雨の懸念された台風は、次第に東にそれ、
爽やかと言うには強いけれど、心地よい風の吹く一日でした。






一夜明けて、浮かんでくる様々な想いを
取り出しては、ひとつひとつまた胸の奥にしまい・・・
昨日は「待つ」ということの辛さを、
生涯のうちで一番身に染みて感じた日でもありました。


そして私はよく、意図的ではないにしろ、結果的に
父に「待つ」という行為を強いたなぁ、と
若かりし頃の遠い記憶の糸をたぐりよせています。

元来、心配性で短気であったため、
何かにつけ連絡が無いと言っては怒り、
帰りが遅いと、家の前でパジャマで待っていることもありました。 
学生の頃は、バイト先によく電話がかかってきて
終わる時間を合わせ、一緒に帰ったものです。

親は子に大きな愛情を注ぐものですが、
その度合いが通常レベルよりもかなり深いのでは、と
父を冷静に見ていても、つくづく思います。
 いや、それだけ私が頼りないということなのでしょうが…。





けれど、そういったものを、
あのような身体の状態で見せられたら
もう、どうしていいか分からないくらい、自分の不甲斐なさを情けなく思う。


私にも、親を想う子の心はあるのです。
だから、「待つ」ということしか出来ないことが
とても長くてしんどい1日だったのです。



遅い時間に届いた電話は
「上手くいった」との明るい声。

それを聞くまでに、走馬灯のように
心のフィルムから父といたシーンを
人生から切り取って振り返っていたのですが
このフィルムにはまだまだ続きがありそうで
これ以上のことは無い、と思った瞬間。



なんてありがたいことだろう!!!